<<序>>

「ほらほら、早く行くよっ」
　
 雨宮歩美(あまみや・あゆみ)は無邪気な笑顔を浮かべて、蔵に向かって駆けて
いく。その後を追って走るのは、歩美の親友の百合川まい(ゆりかわ・まい)と
鹿嶋葉月(かしま・はづき)だった。

「歩美、あまりはしゃいで怪我をしても知りませんからね」
　歩美の母親である雨宮霧依(あまみや・きりえ)が少し声を大きくしてたしなめるが、
三人は蔵の中へと消えた後だった。
やれやれ、といった感じで肩をすくめ、霧依は母屋へ戻った
小一時間もすれば遊び疲れて戻って来るだろうから、おやつの準備でもしておこう。
彼女はそう思った。
　
 十二月十日。いつでも雪を降り出せるよう、空は準備をしていた。


<<壱>>

　ポストに手紙が届くのは珍しくはないが、妙齢の女性が差出人なのは珍しかった。
「鬼太郎、手紙が来たよ」
　猫娘は粉雪の舞う中、家に向けて走る。
手紙を口にくわえて梯子を上り、部屋に入るや否や、ねずみ男がどこぞから拾ってきた
コタツに潜り込んだ。
「手紙は？」
「あ、これこれ」
　コタツから這い出て、彼女は鬼太郎に手紙を渡した。
　妖怪ポストに届く手紙は、誰でも投函できるものではない。本当に困っている
人、それも悪意ある妖怪の仕業で困っている人にだけ見える、不思議なポストなのだ。
ここにその手紙が届くということは、今回も鬼太郎の助けを求めている人がいるという
ことだ。
　ここはこの世のどこかにある、鬼太郎の家。今日は鬼太郎とその父親、そして
猫娘の三人(と呼んでもいいのだろうか)がいた。
「ふむ。これは相当切羽詰っているようじゃのう」
「すぐに駆けつけましょう、父さん」
「そうじゃな」
「あ、私は私は？」
　猫娘は鬼太郎について行こうとするが、やんわりと拒否された。
「猫娘は、ここで留守番」
「えー」
「コタツがあるからいいじゃろ？ほれ鬼太郎、急ぐぞ」
「はい、父さん。悪いけど、お願いできるかい？」
「はぁーい。気をつけてね」
　手紙を握り締め、鬼太郎たちは外へと飛び出した。口笛を吹くと、即座に一反
木綿が空からやって来て二人を乗せ、あっと言う間に彼方へ消えて行った。
　それを見送ると、猫娘はコタツに再び潜ってあくびをした。と、そこである物
に気づき、それをくわえて這い出る。

「…手紙。二枚あったんだ…」

　勢いよくコタツに入った時に落としたようだった。もう一枚も女性から。それ
も、家族が行方不明になったとのことらしい。
　それを見て、猫娘はニヤリと笑った。
「…これ位なら、私でもやれそうよねぇ」
　彼女の瞳が、輝いた。

　＊＊＊＊＊

　その家は、大きな蔵がある、立派な屋敷だった。
「あなたは…鬼太郎さんの…」
「猫娘です！今日は鬼太郎の代わりに来ました！大船に乗ったつもりで任せて下
さい！」
　ニッコリと笑い、猫娘は胸を張ってふんぞり返った。目の前の女性は苦笑いを
しながらも、猫娘を歓迎してくれた。
「…早速ですが、娘さんとそのお友達が」
「はい…。こちらに来てもらえますか」
　案内された場所は、例の蔵だった。二階建ての立派な蔵で、いかにも骨董品が
沢山ありそうな雰囲気だった。
　…が、それは一般人から見たらの事。猫娘は体中の毛が逆立つ感覚に襲われた
。
「…強い妖気…」
　蔵からにじみ出ている妖気は、空気をも一変させていた。
「この中に、すごく邪悪な妖怪がいます」
「そんな！中には歩美たちが！」
「落ち着いて下さい！私が助け出しますから」
　依頼人である雨宮霧依は取り乱しながらも、どうにか首を縦に振ってくれた。
猫娘も安心して、母屋に帰す。
　蔵を見る。周囲がどす黒い妖気に包まれている。霧依が母屋に入ったその時、
蔵の扉がゆっくりと開かれた。
「…誘っているの？…上等じゃないの！」
　猫娘は自慢の鋭い爪をあらわにして、蔵の中に駆け込んだ。

<<弐>>

　猫娘が蔵に入ると同時に扉は閉まり、暗闇に包まれた。窓から入るかすかな外
光だけが闇を切り裂いている。
「いつから蔵は自動ドアになったのよ」
　舌打ちをして皮肉を言う。
　外から見た時よりも広く感じるのは、暗闇のせいか妖怪の力か。猫娘は、まず
は慎重に進む。周囲の
棚には想像通り、古い壺やら掛け軸やら、ねずみ男が見たら目の色変えて喜びそ
うな骨董品が沢山あった。
　闇に目が慣れたのは思ったより早く、奥に階段が見えた。一階からは妖気は感
じれるが、人の気配は感じられなかった。
「…上かぁ…」
　そう呟いて階段へ向かう。大きな木箱に囲まれ、通路はだんだん狭くなって行
く。なるほど、好奇心旺盛な少女たちが喜びそうな雰囲気であった。
　一歩一歩確実に、しかし急ぎつつ、彼女は階段をのぼる。

　＊＊＊＊＊

「ねぇ葉月、この壺すごく綺麗」
「そんな事言ってる場合じゃないよ！まいがどこか行っちゃったんだから！」
　雨宮歩美は鹿嶋葉月に向かって声を上げる。葉月は壺を元の位置に戻し、親友
の捜索に気持ちを切り替えた。
　百合川まいが姿を消して、およそ十分が経過していた。
　蔵に入ってから三十分も経ったあたりだろうか。小さく悲鳴が聞こえたと思っ
た時にはまいの姿は既に無く、二人は恐怖に包まれていた。
「懐中電灯とか持って来ればよかった…」
「今から戻って持って来ようか？」
「そ、そうしようか…」
　二人は手を繋ごうと、互いの姿があると思われる方向に手を伸ばした。
　その時、悪夢は再び姿を現した。
「え？…きゃあっ!!」
「あ…歩美？歩美!?」
　葉月は声をかけたが、歩美の返事は無い。…歩美も姿を消してしまったのだ。
「そんな…そんなぁ…」
　その場に座り込み、涙を浮かべる。葉月が絶望する直前だった。
「誰かいるの？」
　葉月の背後から声がした。
「あなたが歩美ちゃん？」
「あなた…猫娘さん…？」
　葉月でも知っている、有名な正義の妖怪・鬼太郎の仲間…猫娘が、そこにいた
。

<<参>>

「猫娘さん！歩美とまいがどこかに行っちゃった!!」
　胸に飛びつき、泣きじゃくる少女。いまの言葉からしてこの少女は鹿嶋葉月な
のだろう…しかし猫娘には気になっている事があった。
「落ち着いて、落ち着いて。…二日もどうやってここにいたの？」
「…ふつか？」
「そう。私、歩美ちゃんのお母さんに呼ばれて来たのよ。二日前にあなたたちが
姿を消したからって」

「嘘！私たちここに入ってまだ一時間もしてないよ」
「…へ？」
　二日も飲まず食わずでここに閉じ込められていたのなら、もっと衰弱していて
然るべきだ。それも、この年代の少女なら尚更である。
しかし多少の疲れは見えるが元気そうである。
一体これはどうした事なのか。
「今日は十二月の十二日よ？」
「十日だよ。学校、今日で終わりだもん」
　…猫娘は思考回路がショートしそうになっていた。二日のズレが蔵の内外で生じている。
おかしいのは…蔵の中の時間だ。
　時間の流れを変えることができる程の力を持つ妖怪。猫娘でもそんな妖怪の覚
えはない。そんな強大な相手に立ち向かえるのか、と思うと、背筋に冷たいものが走る。
「猫娘さん、歩美とまいを助けてあげて！」
「で、でも…」
　この時ばかりはさすがに自分の浅はかさを呪った猫娘だった。鬼太郎の帰りを
待つなり追いかけるなりすればよかった、と後悔する。
　困り果てたその時、どこからか声がした。
「猫娘さん？…んむっ」
「…静かにして」
　葉月の口を手で押さえ、猫娘は耳をすませた。
「…………んぅ、………うっふ……」
「聞こえた！こっちだわ！」
　葉月を連れて、猫娘は奥へ進む。
　…直後二人は、言葉を失った。
「…まい!!」
　葉月が叫ぶ。
　百合川まいは年季の入った縄にまだ幼い身体を縛り上げられ、床に座らされて
いた。亀の甲羅のよう
な模様に縄が巻きついている。
「うぅ、むうー!!!!」
　まいは涙を流して声を上げるが、着物の帯らしき布が口を塞いでいて、言葉に
なっていない。

「猫娘さんっ、早くまいを!!」
　葉月がそう叫んだ時、猫娘は葉月の後ろを見ていた。
「…歩美ちゃん…？」
　ぐったりとしているが、恐らく雨宮歩美なのだろう。まいと同じく身体を縛ら
れ、宙に浮いている。
布が口に詰め込まれていて、声すらも出せないようだ。

「卑怯者！この子たちを放しなさいよ!!」
　大声を上げて、猫娘は暗闇に向かって爪を向ける。闇雲に斬りつけるが、手ご
たえはおろか、逆に自分が疲れていくだけだった。
「足元!!」
　葉月の声に気づいた時、猫娘は床に倒れた。左足首に縄が絡み付いている。そ
れはどんどん身体の方
に進んでくる。
　葉月だけでも逃がそう…そう思って葉月を見た。しかし。
「んんっ、猫娘さんっ、んぐうっ！」
　古い浴衣が葉月の身体に巻きつき、口はその浴衣の帯が塞ごうとしている。
　鬼太郎に向かって助けを叫びたかった。しかしそれも叶わない。何故ならば、
猫娘の口は既に布切れ
によって塞がれていたからだった。

　＊＊＊＊＊

　猫娘が蔵に入って四時間は経つ。中からは物音ひとつせず、蔵は依然としてそ
の場にある。
　心配そうに霧依は見つめていたが、意を決したように歩き出した。その扉に手
をかけようとした時だ
った。
「近づいちゃ駄目です！」
　背後から、少年の声が聞こえた。

<<肆>>

　歩美は床に転がっていた。身体を必死にもがかせるが、縄は緩まない。声も出
せず、助けも呼べない。
　視界に入っているのは、やはり転がされているまいだった。彼女もまた縛られている。
　葉月と猫娘は互いの背中を合わせるような格好で縛られ、木箱の上に座っていた。
　猫娘は眉間に皺を寄せて身体をよじらせる。しかしあまり動くと葉月が痛みを
感じると思い、動けない。例え動いても縄が緩むことはないのだが。
　暗闇の中、柱時計が時を刻む音が響く。その時だった。猫娘の中に閃くものが
あった。
「んっ、んー!!!!」
　縛られた足をバタバタと動かす。まいや歩美が何事かと猫娘を見る。
　生きている縄、放置されていたにも関わらず動く時計、空飛ぶ浴衣、そして…。
「ふうっ！んぅーっ!!」
　妖怪の正体が分かったのだ。猫娘は爪を出して縄を切ろうとするが、それをす
ると一緒に葉月の手も
傷つけてしまう。
　どうにかしてその正体を、外にいる人間に知らせたかった。

　＊＊＊＊＊

「妖怪の正体は、この蔵自体なんです」
「この蔵…ですか」
　霧依は驚いて蔵を見る。
「離れていて下さい。…やぁーっ!!」
　扉に向けて放たれた無数の鋭い針は閂に突き刺さる。扉が観念したかのように
開いた。
「父さん、ここにいて下さい。すぐに戻ります」
「無理は禁物じゃぞ」
「わかってます」
　少年は縞模様のチャンチャンコを翻して、蔵の中に飛び込んだ。
　霧依は眼球のみの小さな妖怪に声をかける。
「あの…」
「心配はいらんよ。安心して見ているんじゃ。すぐに鬼太郎がみんなを助けて戻
って来る」
　目玉親父は息子を誇らしげに語った。

　＊＊＊＊＊

　階段まで一直線に突き進み、飛ぶように駆け上がる。
「たぁーっ!!」
　下駄は的確に窓を塞いでいる板を壊して行く。すぐに明かりが中に差込み、闇
がどんどん薄れて行く
。
　その状態で、ついに鬼太郎は全員を発見した。
「猫娘!!」
「んぅー！んふぅーっ!!!!」
　縛られた猫娘と三人の少女たちは、鬼太郎の登場に安心した。
　その時、鬼太郎に向かってくるものがあった。
『邪魔をするなぁーっ!!!!』
　空気を震わせる凄まじい声。
「…出たな、親玉」
　それは柱時計から聞こえていた。
「お前たちの役目はもう終わっているんだ！大人しく眠りにつくんだ!!」
『黙れ若造が！我等がどれだけの時間を生きて来たか知らぬだろうが!!長い時間
人間に使われ、使わなくなった途端にこの蔵に押し込めよって!!』
「…話して解る相手じゃないのか…」
『我を倒すのは容易よ！しかし、お前にも解るだろう？我らの思いを！人間の我
らに対する酷い仕打ちを!!』
「わからないね」
『何だと!?』
　鬼太郎は床を蹴り上げ、柱時計に向けて下駄を放った。
「僕は人間を憎く思った事はないからさ」

<<終>>

　砕け散った柱時計を横目に見ながら、鬼太郎はまず、歩美の縄を解き始めた。
身体に食い込む縄と猿
轡を解くと、歩美は不思議そうに聞いてきた。
「あの、鬼太郎さん…さっきの声は？」
「付喪神って言ってね。長い間…それこそ九十九年も使った物が変化するんだ」
　まいの縄を解く。手首に残った縄の痕を気にしながら、まいも鬼太郎の話を聞
いている。
「普段は悪い妖怪じゃないんだ。それに宿った神様でもあるからね。でも…」
「でも？」
「みんなも暗い所にずっと閉じ込められていると、嫌な気分になるだろう？それ
と一緒で、悪くなるのもいるんだ」
「…気持ちをわかってほしかったのかな」
　猿轡を外された葉月が呟く。
「そうかもね」
　猫娘を見て、鬼太郎は言った。
「勝手な事して…お仕置きで、そのまま」
「んー!!」
　猫娘は青ざめた顔でジタバタと動く。鬼太郎は笑いながら、
「冗談だよ、猫娘。勝手にやったのはアレだけど…よくがんばったね」
　頬に軽くキスをして、鬼太郎は猫娘の縄を解き始めた。

　＊＊＊＊＊

　霧依たちのお礼の言葉を背中に、鬼太郎たちは空を進む。
「どうしたんじゃ猫娘」
「な、何が？」
「顔が真っ赤じゃぞ？」
「父さん、さっきまで付喪神に縛られていたんですよ。恥ずかしいのは当たり前
です」
「ふむ、それもそうかの。わしゃてっきり縛られるのが病みつきに」
　そこまで親父が言った時だった。
「キシャアーッ!!」
　猫娘は自慢の爪を親父に向けて、威嚇した。
「じょ、冗談じゃよ冗談!!」
　慌てる親父。
「ふん」
　猫娘はそっぽを向いて、チラリと鬼太郎を見た。一瞬目が合い、互いに顔を赤
らめて目をそらした。

　色々なドキドキが混ざり合った、複雑な感情を胸に、猫娘はそっと微笑んだ。